黒ひよの【空手ことはじめ】その4

黒ひよの稽古日記

唐手(トゥーディ)には、大まかに三つの分類がありました。

・首里手(スイディ・しゅりて)
  読んで字のごとく、琉球の首都である首里で、士族がおこなった唐手を
  このように呼びます。
  中国北派拳術の影響を強く受けたとされています。
  代表的な型(形)はナイファンチ(内歩進)、バッサイ(パッサイ:抜   塞)、ピンアン(平安)、クーサンクー(公相君)などと呼ばれるものが  ありました。

・那覇手(ナーファディ・なはて)
  これも首里手と同様、那覇でおこなわれたことから那覇手と呼ばれている
  ものです。
  本ブログ9月1日付けで【久米三十六姓導入説】をご紹介しました。
  「?(ビン)人三十六姓」と呼ばれた明の職能集団が、琉球にさまざまな
  文化や技術を伝えた際、武術も琉球に輸入されることになったという説
  でしたが、この?人三十六姓の末裔が教えたものを那覇手と呼んでいま   す。

・泊手(トマイディ・とまりて)
  泊は貿易港として、さかんに海外からの往来がありました。
  なんでも漂着した人のために、受け入れ施設まで用意していたそうです。
  このような土地柄を反映して、地元の人々が拳法の教えを受けたのが
  泊手です。
  代表的な型(形)には、ナイハンチ(古式)、パッサイ(松茂良、親泊   等)、クーサンクー(北谷屋良)、ワンカン、ワンシュウなどがあったそ  うですが、実際には首里手 と似通っていたのが実情のようです。

以上三つをお伝えしましたが、これは「流派」とは異なります。
流派と言えるほど確立された技術や稽古法は、このころまだ登場しておらず、
あくまでも地理に根ざした分類にすぎないものです。

さて、これらの分類の中から、後に名を残す武道家が登場します。
明日、このような古の名家についてお話しすることといたしましょう。

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