黒ひよの【空手ことはじめ】その11

今日は糸東流について書いてみようと思いますが、たいへん難航しました。
細切れの情報を、なんとかつなぎ合わせてみようと思います。

開祖は摩文仁賢和(まぶに けんわ)です。
摩文仁賢和は、糸洲安恒と東恩納寛量の双方に唐手の免許皆伝を受けています。
ですので那覇手と首里手が自在でした。
それだけにとどまらず、多くの武術の習得に余念がなかったといわれます。
そのため、技術体系はきわめて幅広く、他の流派と比べますと形の種類も
多くなっています。
日々、技術を革新していったといわれ、摩文仁に教えを受けた人の間でも
技術に違いが見られたほどでした。
糸東流という名称は、糸洲安恒の「糸」と東恩納寛量の「東」の字を合わせた
ものです。

奥が深く難解、といったイメージです。

摩文仁賢和は1889年(明治22年)、沖縄県首里市に生まれました。
14歳で糸洲安恒に、19歳で東恩納寛量に師事しました。
警官として勤務のかたわら、琉球古武道の棒術・釵術・添石流棒術等も習得
しています。
1916年(大正4年)には、自宅に道場を開設しました。
「唐手研究会」を創設し、これには船越義珍も参加していたといわれます。

本土に移ったのは1929年、41歳のときです。
大阪に居を構え、道場を作って空手の普及に尽力しました。

1934年、空手道場「養秀館」の開設を機に、みずから糸東流と命名し、さらに
多くの弟子たちの指導にあたりました。
没したのは1952年(昭和27年)、63歳のときでした。

「何事も打ち忘れたり ひたすらに 武の島さして 漕ぐがたのしき」

無我夢中といいましょうか、忘我の境地で稽古に打ち込み、いそしんだことが
この句に表されているように思います。

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