第4話:最初で最後の昇級審査

門間理良の黒帯への階段

特筆すべきこともなく、私は稽古をたらたらと続けていた。そんな私も昇級審査を受けることになった。いつまでも白帯のままでは、なんとなく恥ずかしい気がしたのだ(その前に1回審査の機会があったのだが、確かパスした記憶がある)。いっしょに入門した友人はすでに辞めていたので、仲のよい友人はなく、不安の中での審査だった。

休日に道場に着いてみると、いつもより大勢の塾生が集まっていた。若い人ばかりで女性も少なからずいた。ものすごい緊張感が襲ってくる。

2階で審査は始まった。整列して準備運動から基本稽古や移動稽古、組手があるのは現在も変わらない。ただ、当時と現在と違うのは、当日に体力チェック(拳立て伏せとジャンピングスクワット)があったということである(どこに組み込まれたかは覚えていない)。これがまた、現在の総本部で行われている体力チェックとは比較にならないほどきつかった。ジャンピングスクワットはまだいい。

問題は拳立て伏せであった。号令に合わせてやるという点では現在と同様だが、その1号令が滅茶苦茶長いのである。今なら時計とほぼ同じスピードで号令がかかるが、当時は「い~ちい~、にい~い~、さあ~ん~」である。「い~ちい~」で既に3秒は経過している。それに合わせて腕を上下するのだから、異常にきつい。
20回くらいやったあたりで腕はぶるぶる震えて、もう下げることはできない。すると、東先生から「それ以上できない奴は、そのままの姿勢でいろ!」と声がかかる。「押忍」の返事もできず、そのまま耐えるだけだった。

 そして組手だ。名前を呼ばれて前に出る。心臓はバクバクだ。相手は同年代の男子だったが、見覚えのない人だったので、多分他支部の塾生だったのだろう。

 現在は5級以下の審査であってもスーパーセーフなりベーシックガードなりを装着するが、当時の昇級審査の組手は道衣以外何もつけない。ファールカップすらつけていない。その状態で、組手が始まった。3本組手とか、ローなしなどの限定組手ではなかったと記憶している。みっともない殴りと蹴りの応酬である。

 客観的には短いが、主観的には十分すぎるほど長い組手も最後の方になったときのこと。相手の足が私の金的にヒットした。もちろん狙ったものではない。今思えば、インローがそのままずりあがっていった結果、当たったと推測できるのだが、その衝撃はかなりのものだった。
 
 下腹部全体の痛みと、強烈な吐き気を覚える。うずくまりたいが、衆人環視の中である。女の子もいる。そんな格好悪いところは見せられない、という羞恥心でなんとか短い残り時間は乗り切った。終わって壁際に休んでいるときは、痛みに必死に耐えていた。そのおかげで、体の他の部分の痛みを感じるどころではなかったし、他の塾生の組手のことは全く記憶にない。

 とにもかくにも審査を終えて家路に着いたが、大道塾はとんでもないところだなあ、という印象が改めて強烈に刷り込まれた1日だった。

 それから1週間後くらいだったと思う。稽古後の掃除も終えるころ、1階で雑巾を洗っていると、「門間、門間!」という東先生の私を呼ばわる声が聞こえる。「押忍!」と返事して先生のもとに駆けつけると(1階事務室の脇だった)、先生が真新しい帯を持って立っていらっしゃった。

 先生が「門間、8級に昇級だ。おめでとう!」と帯を手渡して下さった。「押忍。ありがとうございます!」と受け取ると、周りにいた人が拍手してくれた。

 先生が手を差し出されたので、右手で握り返すと、「目上の者と握手するときは、左手を添えて両手でやるもんだ」とおっしゃる。「ああ、そういうものか」と素直に感心し、帯を脇にはさんで、改めて両手でがっちりと握り返した。先生と初めての握手である。

 こうしして手にした帯は、それはすがすがしい青色だった。