第16話:初めて殴った相手は牧先輩(えっ?クリスマスイブに昇級審査?!)

門間理良の黒帯への階段

「空道とは非情な武道であり、大道塾も非情なる組織である…」

私がその印象を深めたのは、2006年最後の昇級審査がクリスマスイブに開かれることを知った時である。世間一般では多少なりとも浮かれムードが漂うこの時期になぜ、本気モードの「どつきあい」をしなければならないのか? 

 私は当時7級で、早く黄帯という未体験ゾーンに突入したいと思っていた。機会があればどんどん受審するつもりだったので、当然の如く申込みを行った。

 だが、反応は小さいものではなかった。家族(特に妻)からは
「ええっ! なんでクリスマスイブに大道塾なのよ!?」
といった言葉と視線がジャブ、ストレートのごとく、びしばし入ってくる。
 こちらは防戦一方だが、夏合宿と同様「済まぬ、済まぬ、許せ、許せ」という逃げの一手で浅草にあるスポーツセンターに向かったのである。

 浅草駅から土手沿いの道を歩く。普段なにもないときだったら、気持の良い道なのだろうが、緊張からか気が重い。それでもスポーツセンターに着いてみれば、BMCの仲間がいるので多少なりとも落ち着くことができた。

 道衣に着替えてストレッチなどをこなしていると整列となった。昇段を賭ける先輩を先頭の横一列にして、東先生に名前を呼ばれながら皆が帯順に並んでいく。すぐ近くに6月の昇級審査で組み手をやった方と一緒になったので「ご無沙汰です」などと挨拶を交わす。

 松原先輩の号令のもと準備運動を行い、続けて基本稽古、移動稽古となった。このとき、二つの稽古を厳しく審査されていた支部長がいらっしゃった。新宿の高橋支部長である。高橋支部長は大道塾創設に加わった最古参幹部の筆頭格である。私も当時指導を受けたかもしれないと思って、ちらちらとお顔を見ていたのだが、どうも記憶がない。研究にお忙しい時期もあったようなので、きっとそういった時期に私の在籍期間がかち合っていたのかもしれない。

 ところで、基本と移動は、昇級審査を受ける立場の者からすれば、「組手の前に、余計な体力は消耗したくない」というのが本音ではあるまいか。正直申し上げれば、私もそうである(押忍、すいません)。

 ただ、6月や8月の合宿時にやるよりは、12月末の方が季節柄ましだな、などと思いながら「体力温存…、」などと考えていると、東先生や高橋支部長が巡回してこられるのだから、プレッシャーは小さくない。結果として丁寧にやることになり、結局疲労した。でも、これは真面目にやっておくのが正解だったことが後でわかることになる。

 いよいよ組手審査である。今回は多数の先輩が昇段審査に参加されているので、色帯組はそのお相手を務めることとなった。ときに松原先輩の助言を参考にしつつ東先生が級・年齢・体重を目安にどんどん組み合わせをつけていく。

 そうして決まった私の組手相手は、いつも稽古をつけていただいている牧先輩、そして夏合宿で同室になったM先輩である。牧先輩は二段昇段を賭け、M先輩は初段を賭けていらっしゃる。かたや私はぐぐっと落ちて黄帯を賭けている。

 昇級審査は主として2パターンがあるのは皆さんもよくご存じのところだ。ひとつは昇段審査の相手を務めるもの。もうひとつは同レベルの者同士で組手するものである。どちらが好きかは人それぞれだろうが、私は前者の方を好む。

 「相手は先輩なので、負けても当たり前さ。思いっきりやればそれでいいよ」
という気持ちがあるし、基本ルールでお相手する場合なら、先輩は空道ルールなどで2ないし3回は組手をこなしてから私の相手をすることになる。

 そうなれば、
「いかな先輩といえども疲れているから、こちらに勝ち目がないわけではない」
などという、武道家としてはけっこう姑息なことも頭をよぎるからである。

 組手審査のためにグループごとに分かれる。道場そのものは広いのだが、それを分割して数組が組手審査をやっているので、あてがわれたスペースはそれほど広くない。

 牧先輩・M先輩の組手は松原先輩が主審を務めることとなった。
しっかりとした記憶はないが、牧先輩は無難に空道ルールをこなしている。後輩としては非常にうれしい。しかし、私も自分の昇級が懸かっている以上、あまりミットモナイ負け方はしたくない。そうこう考えていると、あっという間に私は牧先輩の前に立って「押忍!」と十字をきっていた。

 牧先輩は確かに疲れている。「チャンスだ! 勝てるかも…」などと思ったが、こちらの出すパンチやキックはあまり効いていない感じだ。あっという間に元気なはずの私の方があせってきた。

 すると、牧先輩が徐々に圧力をかけてくるではないか! スピードこそないが確実に私を追い詰めてくる。
「うう、これ以上後ろに下がれない!」となったときのこと。

「パコーン!」

 思わず私の右ブーメランフックが牧先輩のスーパーセーフをとらえてしまったのである。

 ここで即座に松原先輩の「待て!」が入り、「けっこういい音がしたので(けっこう強く叩いたので、だったかもしれない)、反則で減点1」となった。
 
 私は少し動揺した。減点に、ではない。生まれて初めて人の顔面を殴ったからである。もちろん、これまでの稽古の中で、パリーし損ねた相手の素面の顎にコツンと拳を当てた程度のことはある。だが、今回の「パコーン!」は、こちらも腕が伸びながら一瞬「やばい」とは思ったから、100%の力を込めたフルスイングではなかったにしても、
「はい、確かに殴りました」
のレベルではあった。

 「申し訳ありません!」
とすぐ謝ったが、牧先輩は意に介せず手を顎にかけて多少カクカクとさせただけで大丈夫とのサインを送ってこられた。結局私はこれが響いて負けてしまった。

 その後、牧先輩は寝技も終え、無事に昇段を決められた。組手すべてが終わって、もどってこられてから畳の上で大の字になって「ああ、こんなのやるもんじゃないよ~!」とおっしゃっていたのが印象的である。

 そこで、私は再度「先ほどはすいませんでした」と申し上げたところ、牧先輩はにやっと笑って「昇段審査をかけた先輩に勝っちゃいけないよ」とおっしゃった。私も気を入れ替えて「先輩に貴重な1点を献上したわけですね」、「生まれてはじめて顔を殴っちゃいました」などと答えた。

 もちろん、貴重な点を差し上げようと思ったのでも何でもない。こっちはあわよくば勝ちたいと思っていたし、そもそも先輩を「勝たせる」などというおこがましい気持ちはこれっぽっちも抱いていない。

 相手は疲れ、こちらは体力を消耗してないという有利な状況にもかかわらず、こちらは牧先輩の前進圧力に慌てて、思わずフックを顔面に当てて減点を取られたのだから、完敗である。そもそもノーガードで右フックが入っていながら効いていないのだから話にならない、という指摘もあろう。

 さて、続くM先輩との組手の前のことだ。東先生が「帯上の者に勝ったら、2試合で終わりだ。負けたらもう1試合」とおっしゃった。

 痛いこと、暴力的なことが大嫌いな私は、これで「ますます頑張らねば」という気にさせられた。簡単に乗せられる私はお調子者…なのだろうか?

 組手はすぐに回ってきた。M先輩は、牧先輩以上に疲労していたことがすぐわかった。こちらも1試合やって余裕があったのだろう。先輩が近づいてきたところで前蹴り、横蹴りなどで突き放してから、今度は自ら接近してパンチを出したりローを蹴ったりした。

 M先輩のセコンドについた方達から「相手は勝ち狙って来てるぞ~!」の声がでる。

 その通りである。M先輩が普通の状態だったら勝てるわけがないが、疲れきっているのだから、こちらが勝てる可能性も十分にある。だから攻めに攻めた。

 組手が終わった時は、正直「勝ったかな」とも思ったが、ヒット数は多かったが相手に効いていないとの判断で引き分けに終わった。ふらふらの先輩を倒すことができなかったのであるから、こちらの非力を再確認させられた。

 M先輩が全組手を終えられてから、ごあいさつさせていただいた。スーパーセーフを脱いだ先輩の顔を見て、暑かった夏合宿の稽古が思い出された。

 結局、私たちは誰も3試合目はなかった。時間が押していたからである。戦績は1敗1分けであった。最後に高橋支部長から「基本、移動がしっかりできていない者がいる。特に、手本になるべき帯上の者に対しては厳しく審査した」旨のお言葉があった。
 
 私はまだ青帯で他人の手本になるとは思えないし、朝岡先輩の火曜日・木曜日の稽古で毎回20分程度とはいえ、移動稽古をしていたので、たぶんこの点は大丈夫だろうと思っていた。ただ、1敗1分で勝ちがないないことと、帯の色が変わる時は厳しくみられると聞いていたので、安心はできなかった。

 だから年明けに昇級者一覧に自分の名前があった時は、ほっとした。朝岡先輩から黄帯をいただき、すぐに締めた。ごわごわしているが気持ち良かった。

 ただ、なんか帯が長い気がする…。家に戻ってからそれまで締めていた青帯と比較してみると、同じ6号なのに10㎝以上長かった。なんでえ?

【後記】
こういうわけで、牧先輩は私の「忘れられない初めての人」となりました。 😀
これからもよろしくお願い申し上げます。

山家先輩に続き、木下先輩からも「早くブログ更新してよ~」の催促が…。いかがでしたでしょうか?