清水和磨「ラスト・サムライ in 空道」(その4)

選手生活を振り返って

–:それでは話を戻して。
支部はどう移動していったんですか?本部は何年までいたんだったっけ?

清水:本部は99年春までですね。その後、地元に帰りました。

–:その時はどの支部に属してたの?

清水:この前の大会の結果で、ほんとのプロみたいな人間が…と言われましたけど、自分は初めて優勝した頃から世界大会の予選の体力別までの間って、普通に働いてたんですよ。職員だからってよく言われるんですけど、自分は普通に働いて稽古や試合もしてたんです。

–:なるほど、その間は職員じゃなかったんだ。

清水:2000年5月あたりもそうだし、山崎先輩とやった時もそうだし、長田先輩との時もそう。

–:職員というプロじゃなかった、と。

清水;普通に働いて、休みをとって会場へ来てました。この前の結果で「職員ばっかだ」って言われたけど、それはちょっと違います。

–:なるほど。しかし、「あの人はプロだから」とかいうのは、典型的な負けた者の言い訳だな。日本で仕事を持ってない選手なんて、大相撲だけですよ。あとは一部の世界チャンピオンだけで。でも職員が良いか悪いか別にして、ある程度時間をかけないとどうしようもないところがあるでしょう?空道は総合競技だから、立ち技も組み技も寝技もいっぱいやることがあるからね。

清水:自分は時間の余裕がある仕事を探しました。賃金の高い安いじゃなくて、練習できるかどうかを重視して。

–:キックとかだったら3時間くらいでトッププロでも稽古を終えてるわけだけど、それからまだ寝技とかあるから時間がないとどうしようもないよね。

清水:今選手の人たちは、週1とかでは難しいですよね。どっちかやって来てればいいんですよ。打撃か寝技か。だけど全く何も経験ありませんって人は、ほんとに大変ですね。教える時もどうしたらいいのかってお手上げです。

–:空道は高校生までは少年部扱いで顔を殴るのは大学生以降って規定になってますから、それを前提にして選手を強化するんだったら、中学高校で柔道の二段、柔術だったら青帯までは取らせなきゃいけないんだと思うな。藤松だってサンボを全日本クラスでやってた訳だから。その上に極真ルールを何年もやったら、何をしてるのか分からないうちに社会人になって、稽古時間がなくなっちゃいうでしょ。極真ルールって、やりすぎると顔面ルールではかえって悪くなるところもあるしね。

清水:4年も5年もやることになっちゃうんですよね。 4級になるって、ちゃんと稽古に来てて審査を毎回受けてる奴でも多分2年かかるんですけど、無理がありますね。

–:だってそもそも人って集中してやってるモノには3年で飽きるしでしょ?3年後に栄光があったらそれからまた3年続くかもしれないけど・・・今度柔術で黒帯を取ったパラエストラの半谷選手なんて入門して三年らしいですよ。それで全日本代表クラスまでなった。中井さんのところは、集中してやったら最短距離で強くなれるシステムを作ってます。

清水:たいていの人は無理ですよ。続かない。フルコンをやってて、顔面やりたくなって大道塾に来たのに、またフルコンを2年とかやるわけですから。自分だったら多分辞めてます。

–:それで、タイトルを取ったのは、最初はいつだったんだっけ。

清水:2002年です。

–:長田さんと対戦した感想はいかがでした?

清水:2003年ですか?でも前の年に先輩が復活された時も、戦うとは思ってなかったんですよ。階級も違ったし、何となく実感がわかなったんです。長田先輩って、マスコミでの扱われ方は、今で言う魔裟斗だったわけじゃないですか。あれ以上だったかもしれないですよね。

–:人に与えたものの大きさは、もっと大きかったかもしれないですね。他流派もみんな長田っていえば知ってるわけだから。正道会館の金泰泳選手が長田さんと引き分けたポータイ・チョーワイクンに勝ったときに感動して泣いてましたもんね。長田さんの影はそれくらい濃かった。

清水;あの当時のことを聞くと、みんな「すごかった」っていいますね。ビデオとか買って見た人と試合をするなんて、すごく不思議な感じがしました。あの2003年はほんとに運命の年だな…と。長田先輩がある程度まで万全の状態で出てきて、自分は負けたけど藤松は勝って、みたいな。一応今の世代で止められた、何ていうかすごかったなと思いました。

Posted by 佐藤@那覇道場