関連記事

保護中: オイオイ・・・
本当に くだらない話なんですが… アップします(苦笑。 以前、 ちょっとした撮影 ...

保護中: 相撲
野球賭博やらで問題になっている相撲界。 芋づる式に力士・親方の名前が挙がり始めて ...

保護中: 右脳と左脳
大脳生理学とか難しく大事な話を理解していないので いろいろ話は出来ないのだけれど ...

保護中: 早くも後半戦
残念ながら今年前半が終了。 これ以上は仕事量を増やすことは出来ないと思うほど 過 ...

保護中: コンテナーターミナルの内側
僕らの生活は諸外国とのもののやりとりがあって初めて成り立つというのに、その途中段 ...
ディスカッション
コメント一覧
下村博美
おはようございます
確かに通常の生活をしていると「生きている」のが当たり前でありがたみがなくなるかもしれませんね?
「死」に直面すると「生」への執着を感じるのには同感です。仕事柄以前は-20度の宗谷沖での洋上作業や火災の消火(普通の消防は理性的に「バックドラフトをしているから突入するな!」ですが、うちの場合「だから入って消すんだよ!」っていう変な習慣?がありますしね)をしているときとかは切実です。
でも、体張ったって言えば若手のお笑い芸人の熱湯やら冷凍庫に入ったりのけっこう危ない芸?をやっているときも「生」の執着はか感じるんでしょうかね?
おつかれさまです。
下村先輩
最近「生きる」という感覚が薄れてゆく時代だからあえて、重い文を書きました。
若手芸人の熱湯・寒中入浴は「生きる」という実感よりもテレビに「映りたい」という欲望しかありません。
ただ、その反面「テレビで生きてやる」という「生」の執着はあると思います。