黒ひよの【空手ことはじめ】その15
大山倍達の生涯については、さまざまなエピソードが伝えられています。
私はてっきり日本人だと思っていましたが、1923年7月に朝鮮半島・全羅
北道 金堤郡(現:金堤市)に生まれています。
朝鮮名は崔永宜(チェ・ヨンウィ)といいます。
後に日本に帰化しますが、倍達という日本名は神話に登場する伝説上の古
代王朝、倍達国からとったそうです。
1938年に船越義珍に師事、その後は松涛館流や剛柔流を学びました。
終戦後は千葉の清澄山に山篭りの修行を積むなど、研鑚の日々を過ごしま
した。
海外でのデモンストレーションや試合を通じて、空手になじみのなかった
人々を驚嘆させました。
コインを片手の指で折り曲げたり、厚いガラス瓶を手刀で割ってみせるな
どして、「Hand of God」、「Miracle Hand」と呼ばれました。
帰国後は多くの武道家と交流し、研究を重ねます。
そして直接打撃制の空手、極真空手を作り上げました。
目白にあった自宅を道場にしたことをはじめとして、池袋の大山道場、そ
して国際空手道連盟極真会館設立にいたります。
篤実で情けにあつい人柄もあり、多くの弟子が集まり、育っていくことに
なります。
1975年、全世界空手道選手権大会で優勝した佐藤勝昭(現:佐藤塾塾長)、
同大会二位の慮山初雄(現:極真館館長)、1987年優勝の松井章圭(現:
極真会館館長)、外国勢ではアンディ・フグ(1987年同大会二位)、ウィ
リー・ウィリアムズ(1979年同大会三位)など、そうそうたる顔ぶれが国
内外から登場します。
このなかで、入門後わずか3年で全日本空手道選手権大会準優勝、つづく
1974年には優勝を勝ち取り、1979年の全世界空手道選手権大会では4位、と
破竹の勢いで強豪を圧倒した選手が現れます。
稀有の強さを発揮したその武道家は、全国に名を轟かせます。
東孝塾長の、若き日に成し遂げた偉業でありました。
ディスカッション
コメント一覧
松原隆一郎
黒ひよさん、お疲れ様でした。沖縄料理屋で一杯やりましょう。
ただ、今回の極真の話は、何度も書くようだけど、『大山倍達正伝』が出てからは書き換えが必要、もしくはこの本への反論が必要になったようです。
・大山先生が朝鮮でもともとやっていたのはボクシングで、日本に密航して来てから立命館大学空手部におられた剛柔流の曺寧柱を師としたこと
・そののちに松濤館にも入門したこと
・空手界全体で渡米のための資金も援助したこと
・帰国後、全空連が発足する直前の1950年代半ばには、大山先生は空手界全体のスターであり、それにもかかわらず伝統派とは袂を分かったことなどです。
これらの説はフルコン界に伝わっているこれまでの伝説とはあまりにもかけ離れていますが、検証していかねばならないのでしょうね。
黒ひよ
松原先生:
検証の結果が待たれるところだと、私も思います。
近年まで活躍されていた方で、これほど情報が錯綜しているのも稀かと思います。
今回の記事を書くにあたりましては、そのことを鑑み、百科事典サイト「ウィキペディア」に頼っていますが、それでも後年になって書き換えられるだろうと思っております。
大人気を誇ったマンガ「空手バカ一代」も、ノンフィクションという謡い込みでしたが、真樹日佐夫先生のご指摘では「八割がフィクション」とのことで、私は本当にびっくりしました。