第5話:大道塾退会

門間理良の黒帯への階段

 めでたく青帯に昇格したことでちょっとした変化があった。

 少し嬉しかったのは、掃除のときに白帯の人が雑巾を洗うようになってくれたことと、トイレ掃除をしなくてよくなったことくらいだ。べつに、雑巾を洗うのもトイレ掃除も嫌なわけではないが、ちょっと偉くなったような、こそばゆい感じがしたのは事実だ。

 しかし、良いことばかりではない。稽古のとき、先輩方の当たりがきつくなってきたのである。これは当然と言えば当然である。こんな私とはいえ一応昇級したのだから、先輩方としてもこのひよっ子を次のレベルに引き上げてやろうと考えたのであろう。

 この温情?が私には辛かった。腕や脚にあざを作りながらもスパーに耐えていたが、そのうちに一般部の稽古に出るのが苦痛になってきて、少しずつ自由稽古の日(確か水曜日だったように思う)を選んで大道塾に通うようになっていった。

 これならば、サンドバッグを叩いたり、器具を使って補強したりといったメニューでお茶を濁すことができる。怖い対人稽古をしなくて済む、という弱い気持ちがあった。

 だが、自由稽古ばかりを続けていては進歩がないことも理解はしていたし、注意もされるので、ある程度は一般部の稽古にも我慢して出席するようにしていたのだが、そのような我慢が長く続くわけがない。

 そのうち、大道塾に行かなければならない夕刻に近づくと腹がしくしくと痛み出すようになる始末だ。それでも、痛みが始まった最初の頃は我慢して稽古にでたりもしたのだが、「腹が痛いから行かない」と自分に都合よく納得させて行かなくなる日も徐々に増えていった。大道塾に行かないと、痛みはケロッと治まる。

 なんのことはない。完全に精神的腹痛なのである。

 一方では、精神的に弱い自分がいやだ、という気持ちもあった。ある日、腹は猛烈に痛かったのだが、「自分の弱い気持ちに勝たなくてはだめだ。とにかく道場に行こう」と稽古に出たのはいいが、稽古の途中で何度かトイレのお世話になった。

 このとき、自分の中で「これ以上は無理かな…」という気持ちがわいてきた。

 そのような後ろ向きの気持ちに加速をかけるような出来事があった。同じ頃に総本部に入門していた他校の生徒がいつのまにか黄帯になって、白帯・青帯の指導のために一階に降りて来たのである。

 自分の前に彼が来たとき、「ああ、アイツに抜かれちゃったんだ…」と自分勝手に落ち込んでしまった。彼は体つきが私より一回り大きい上に、なによりも真面目に稽古に出ていたわけだから早く昇級するのは当然なのだ。

 今の自分なら、同期の人や後から入門した人が自分より早く昇級しても、激しく落ち込むことはないだろう。家庭や仕事の事情など人によって置かれた環境は異なるし、真面目に稽古を重ねて、強くなった人が昇級するのだから、自分も正しい努力を継続していけば、他人との比較では難しくても、昨日の自分よりも強くなれると信じられるからだ。

 だが当時の私は未熟であった。自分の努力が足りないことは十分過ぎるほど承知しているのに、それでも身勝手に「アイツに負けた」などと思って落ち込んでいたのだ。

 結局、私はほどなく大道塾を辞めてしまった。ほかでもない。自分に負けたのである。
 
 在籍した期間は正確には覚えていないが、1981年から1年弱、稽古回数にして50回程度ではなかったかと思う。

 これで大道塾との縁は切れた。…かに見えたが、実はまだ大道塾と私とは細い糸で繋がれていたのである。