第15話:ビジネスマン支部対抗戦

門間理良の黒帯への階段

 2006年9月23日(土)の午後、総本部道場を舞台にビジネスマン支部対抗戦が開催されることとなった。

 企画立案者は松原先輩で、コンセプトは「自分とほぼ互角の実力の相手と審査以上、試合未満のワンマッチ。戦いの後は懇親会」というものだ(詳しくは、松原先輩の立てられた掲示板「9/23関東ビジネスマン支部対抗交流戦」を参照ください)。

 私は「面白い企画だな」とは思っていたし、観戦して懇親会くらいは出席しようかな、とも考えていたが、自ら手を挙げるほどの積極的な気持ちは当初もっていなかった。いくら支部間の親睦を図る目的もあるとはいえ、戦う以上「勝ちに行く」という雰囲気に当然なるだろうし、そうなると自分ではまだまだ力不足だと考えていたからだ。

 黄帯以下では当初、小原さんが出場する方向で動いていた。ところが、小原さんは夏合宿の審査で肋骨を骨折したため、大事をとって欠場。穴を埋める形で私に松原先輩よりお声がかかったというわけだ。

 試合当日、総本部3階はものすごい人が集まっていた。選手だけでなく応援団、ご家族が応援に駆けつけてきたところもあった。「この道場にこの人数というのは…」、という明らかに「人数超過」的なところはあるが、なんにせよ盛況であることは喜ばしいことである。

 さて、試合である。私は総本部VS浦和チームの先鋒ということになった。総本部から基本ルールでの出場は私1人だ。対戦相手は、私よりも身長は10㎝以上低いが体重は15㎏近く重い方で、Hさんとおっしゃる。年齢は38歳だから、これはほぼ同程度だろう。私は当時7級でHさんは白帯だった。
 
 試合は90秒1本勝負である。始まってみると、Hさんは非常にうまい方であることがすぐわかった。腰がきちんと回旋しており、それに体重をうまくのせて左右の突きをくりだしてくるのだ。

 私は心の中で「どんだけ~!?」と叫んでいた。「白帯の実力じゃないですよ、Hさん!」と突っ込みたくなったが、そうもいかない。私はボディを腕・肘でガードしながら、負けじとパンチを放つものの、あまり効いていない感じだ。殴り合いを主体にして時間が流れていく。残り20秒くらいになったあたりで、お互い疲れてしまったこともあり、ちょっとお見合いするような形で終わった。

 Hさんがこちらを掴んだことによる減点1はあったものの、事前に取り決められている今回の試合ルールによって、引き分けとなった。

 試合が終了してから、Hさんがわざわざ挨拶にきてくださり、お互いの健闘を称えあった。前にも書いと思うが、こういう点は武道の素晴らしいところだと思っている。

 主観的には、まったく不甲斐ない戦いぶりで、試合終了後の輪になっての反省会では「総本部一のだめっぷりを発揮してしまいました」と反省の弁を述べたが、松原先輩からは「よく耐えられました。あの方、強かったですよ」と慰めの言葉をかけてもらった。

 後から考えれば、確かに体重は相手が重いものの、身長差を活かして間合いをとるとか、パンチにつきあわず蹴りで攻めるとかをすれば良かった(Hさんは蹴りがほとんどなかった)などの反省点が次々と浮かぶ。

 ただ、今でもそうなのだが、なかなか試合となるとそのような動きができない。稽古と実践(実戦)不足や体力不足、それらが複合した結果の精神的余裕のなさということなのだろう。今年12月の審査会までには、そういう部分も含めて鍛えていきたいと思っている。

 全試合終了後、懇親会が始まった。気がつくと左手の薬指と小指を激しく打撲したらしく、爪の付け根あたりの部分が紫色になっていて、けっこう傷んでいるが、飲み会は大好きなので、そういうことは無視して楽しく飲みまくった。

 その席で、Hさんが所属しておられる浦和の渡辺慎二支部長にご挨拶する機会を得た。渡辺支部長は自らのホームページで「試合(特にトーナメント制の)にでよう!」という趣旨の文章を書いておられ、その文章を読んだことが、夏合宿のBC戦出場や今回の出場のきっかけの1つにもなっていたのだ。

 そのようなことや試合の感想を述べたところ、渡辺支部長からは(Hさんの突きに対して)「しっかりと肘でガードされていたので、彼の拳は大丈夫かと心配していました」とのお話があった。確かに私の両肘はあざだらけになっていたのだが、さすが支部長ともなるとよく見ていらっしゃるのだなあ、と素直に感銘してしまった。

 このようにして、BMC交流戦は終了した。ところが、これにはちょっとした後日談がついた。
 
 この試合で負傷した右手の薬指と小指の痛みが何日たってもなかなかひかない。12月になってもまだ痛むので、さすがにいやな予感がして整形外科に行ってレントゲンをとってもらった。

 「ああ、両方とも折れていたのが、もうくっつきはじめていますねえ…」
 
 私は生れてこのかた、骨折は未経験であったので、こういう事態は整形外科に行く直前まで予想していなかった。それが一辺に2箇所も骨折! 治療の時機を逸したおかげで、私の指2本は先端の関節部分が曲がったままとなってしまったのだ。

 私は愕然とした。もうヴァイオリンを弾けない身体になってしまったのだ。いや、弾くことは弾けるだろうが、微妙なタッチをだすことはもう不可能だろう…。

 ただ1つ、不幸中の幸いだったのは、私は未だにヴァイオリンを弾いたことがないということである。