第68話:黒帯再挑戦記=その1=

門間理良の黒帯への階段

話は審査2日前の2010年3月11日にさかのぼる。

この日、私は半休をとって木曜1部の稽古に参加していた。3月になってから初めての稽古である。昨年12月23日の昇段審査(第40話参照)は、引越しで忙しく体が疲れきっていたため見送っていたから、今回はぜひ受けたいという思いがあった。このとき保留となった深草さんも再挑戦されるという。

彼と一緒に戦って黒帯を締めたいという気持ちも強い。深草さんと私とは深い武道愛(励ましあいとも慰めあいとも、虎ノ門のご近所づきあいと言っても良い)で繋がっているのだ。

それにしても、昨年5月30日に苦杯を飲まされて以降、私はいったいどのくらい稽古をしてきたのだろうか。

記録を調べると、6月は1回、7月は3回、8月は1回、9月は3回、10月は5回、11月は4回、12月はゼロ、1月は5回、2月は2回であった。合計でたった24回である。

このほかに、さくらでの飲みにだけ参加したこともあれば、大学院生への論文指導が長引いて本稽古後の道場の掃除と2階での自主トレに参加という日すらあった。

このときは

「体を動かしたくて掃除に来ました!」

と冗談を飛ばしたが…。

それにしても、総稽古日数が少なすぎる! 

文部科学省の仕事やら大学の非常勤、原稿の執筆などそれなりに忙しかったということもあるので、これは仕方あるまい。また、前述したように年末は引越しもあった。

それにしても、昇段審査の日程の発表がなかなかないことは気がかりだった。

これまでの経験では3月第1週もしくは第2週の土曜日に商談審査は行われるはずである。こちらもそのつもりでいたので、第4週に拓殖大学で開かれる安全保障シンポジウムのパネリスト出席の要請を受けたとき、二つ返事でOKしていたが、もしこの日にずれ込んだら審査は物理的にアウトである。5月か6月に開かれる昇段審査を待たねばならなくなる。

いつもなら1月中に発表されるはずなのだが、審査内容の改定などの話があって発表がずれ込んでいるのかも知れない。

実はこの点もじれていた理由の1つである。

松原先輩が中心となって昇級・昇段審査の改定案をまとめていらっしゃるが、それがスタートした場合、当初はどうしても一定の混乱は避けられまい。

どうせなら、今まで慣れてきた審査方式のうちに昇段しておきたいというのが偽らざる気持ちであった。

じりじりとした気分で待っていたところ、3月1日の伊東先輩の書き込みでようやく審査が3月13日に開かれることがわかった。

そこで、申し込みを兼ねて3月6日のBCの稽古は出席するつもりだったのだが、生憎年末から2月にかけて相次いでパソコンが壊れる事態に遭遇した私は、原稿執筆がいつも以上に滞り、外務省に提出するプロジェクト研究の論文〆切を1ヶ月ほどぶっちぎってしまっていたのだ(第44話参照)。

これは皆で論文を持ち寄る形式で報告書を作るというもので、外務省への提出という厳然とした〆切もある。まさに「土俵際」に追い詰められた私は、3月6日に明治大学生田校舎の教員用パソコンコーナーで11時から昼食とトイレ以外はずっと座りっぱなしで原稿を書きまくっていた。

8000字が申し合わせの基準で、この日までに6000字余りを書いていたため、早めに片付けば稽古に行くつもりだったのだが、結局10時間で1万字余りを書き加えて、脱稿したのは21時近かった。

稽古参加はすでに18時の段階で放棄していたのだが、これほど原稿に集中すると頭が冴えまくってしまい、なかなか寝られなくなる。

そのまま生田駅に自転車を置いて、池袋のさくらに行けば1時間位は仲間と飲んでリラックスできるなと考えたが、念のため外出中の妻に電話すると、間もなく読売ランド前駅に着く由(私のいる明治生田校舎はその隣の生田駅が最寄り駅)。

エリカが幼稚園での遊びに疲れきって、今にも寝てしまいそうだという。

そこで私は大学を出て線路沿いに自転車で読売ランド前駅に向かい、エリカを自転車の後ろの座席に乗せた。これでさくらには行けないことが確定した。

結局、この夜私は自宅で梅酒を2、3杯飲みながら、引越し後近所のブックオフでついに手に入れたアニメDVD『バジリスク 甲賀忍法帖』11巻、12巻(第38話参照)を見て2時ごろ就寝した。

そんなこんなで3月11日である。この日自宅から直接道場に赴くと寮生の内田君が指導していた。

参加しているのはドクターの杉田さん(お、茶帯ですか!)、清水さん(シャチョー、一緒に審査がんばりましょう)、練馬支部の岸さん(ご無沙汰しております!)、山田さん(こちらもご無沙汰しておりました!)だ。

清水さん以外は午前の部でなじみの顔である。それに見かけない緑帯の青年が1人…。聞いてみると「寮生です」とのこと。「え、いつ入ったの?」と思わず聞き返してしまった。すると「昨日入りました」との返事が。驚かせないでくれ 😀 。

この日の稽古は内田君の指導の下で技研とミット、マススパー(面なし)をしてから、投げ技から絞め、関節技への移行を確認した。

それにしても内田君、指導振りがずいぶん板についてきた。時折笑いをとっているではないか。すばらしいことだ。

稽古後、昇段審査の申し込みをと内田君に話したら

「え、先輩まだだったんですか? 😮  申し込みは昨日締め切りです。先生に伺ってきますのでお待ちください」
という。

結局東先生の裁定で1日遅れは500円のペナルティーということで、無事申し込みは完了した。「この500円、内田君の昼飯に化けんじゃないの?」と軽口を叩きつつも、「今回は周知期間が短いんじゃないですか。もう少し早く発表していただきたい」と疑問を口にした。

フリーの整形外科医である杉田さんも、今回はもともと受けるつもりはなかったが、早めに発表してもらわないと仕事のシフトを組んでしまうので、なかなか受けられないことになってしまうと述べていた。普通の学生バイトではないから、替えも簡単にはきくまい。

例えば、前年11月初めの段階で翌年1年間の審査日程を発表してもらえれば、BCの方々も余裕をもって仕事の調整をして審査に臨むことができるのではないだろうか。

とはいえ、内田君は「お力になれなくて申し訳ないのですが、そんなこと私の口からはとても言えません」とのこと。それはその通り。かえってビジネスマンクラスの方が、先生にお願いしやすい立場だろう。

さあ、いずれにしてもルビコン河は渡ったのだ。後戻りはできない。

後は審査当日を待つばかりである。この直前の時期にハードに体を動かしては当日のパフォーマンスを悪くするだけなので、じたばたすることなく過ごすことにしよう。

清水さんは稽古が終わってからも身体の動きを熱心に確認している。

「お互い頑張りましょう」 😡

と健闘を誓い合い私は道場を後にした。

その日は14時から仕事、夜は飲み、だった。