第30話:緑帯,ついにいただきました!

門間理良の黒帯への階段

 2007年の総決算ともいえる昇級審査が全てが終了した。松原先輩をはじめビジネスマンクラスの皆と池袋の居酒屋で飲み会が始まった。みな晴れやかな笑顔である。

 私も表面上は笑っていたが,そのとき既に重度の突発性鬱症候群に罹患していた。

「自分の限界を知らされた」という心境だった。

 「これ以上は強くなれないよな」とか「緑帯で2度も落ちるのか。格好悪いな」などと考え,かなり本気で大道塾を退会しようと思っていた。

 飲み会の場を借りて退会宣言をしようかとも思ったが,せっかく皆が楽しい雰囲気でいるのに,個人的理由でそれを壊してはいけないと,それだけは思い止まった。

 「あと1個月くらい稽古を続けて,その間に皆には挨拶すればいいや」
と考えたが,もう心の中では
「松原先輩,お世話になりました! 皆さんありがとうございました!」
と叫び続けていたのである。
 
 飲み会が終了し,総本部に多くの人が流れていったが,私は脚も引きずっているし,これ以上飲む気にはなれなかったので,やはり帰宅する村上先輩らと池袋駅に向かった。

 村上先輩と私とは近所なので少なくとも渋谷までは一緒だ。先輩は腰をやられ,私は両脚がぼろぼろ。精神的にも肉体的にも2人して陰々滅々の状態である。先輩は「大丈夫かな」と思ったところでの保留だったので,ショックは大だったようだ。

 山手線に乗って,つらつらと話していると,ほどなく渋谷駅に到着した。

 ここで村上先輩は東横線に,私は田園都市線に乗換えなのだが,腰を痛めている村上先輩は「駅から歩きたくない。バスに乗る」とおっしゃる。私も痛い脚をひきずりたくないので即座に同意。田園調布行きのバスに二人して乗り込んだ。

 先輩もがっくりきているのに,「もう辞めようかな」という私に,「今,辞めたらもったいない」,「きっと受かってますよ」とおっしゃって引き止めてくれた。

 それはとても嬉しかったのだが,

「そうですね。辞めるのはやめました」

という気には,その時はどうしてもなれなかった。

 駒沢公園近くのバス停で先に下車して,家に到着した。楽しい年末のはずなのに,突発性鬱症候群からは,なかなか回復しなかった。

 でも,その後台湾に研究のために行ったり,家族で北京旅行をしているうちに,気持ちも前向きに変化してきた。旅はいい…。

 「緑帯は今回も取れないだろうけど,大学受験に2度失敗したことに比べれば大したことないや。どうせ,すぐに次の昇級審査もあるしな…」と考えられるようになってきた。

 そして,「何度も落ちて格好悪くても,がんばる父親の姿を子供たちに見せることも重要なのではないか」などと理屈をつけられるまで回復するようになっていた。

 また,昇級審査に落ちても稽古に励み,頑張って新しい帯を手にした先輩の姿なども思い出されて,そんな気持ちを後押ししてくれた。

 年が明けてほどなくのこと。私は覚悟を決めて大道塾に向かった。覚悟を決めた,とはいえ,審査結果の張り出しを見るのは久々に緊張した。

 どきどきしながら,1階の掲示板を見る。張り出しそのものが,ない。次に恐る恐る3階まで上ると紙が張り出されていた。

 名前は,あった!

 しみじみ嬉しかった。思わず携帯電話で写真を撮ったほどだ。

 緑帯は鈴村先輩に頂いた。黄帯までのときとはメーカーが変わっていて薄くなった分締めやすい帯で,気分もよい。
 
 村上先輩に,「ほら,受かってるじゃないですか!」とにやっとされた。
 
 その後1月26日の新年会の席で,東先生から「一度落とされてから,強くなったろう」との言葉を頂いた。

 2007年6月に保留だったことで,半年間稽古した。その間に肉体的にはよくわからないが,精神的にはそれなりに鍛えられたかも知れない。
 返事は当然,

 「押忍!」

である。それとともに,新しい階段がまだ続いているのが見えてきた…。【完】