第26話:再挑戦への決意(緑帯取得挫折編その2)

門間理良の黒帯への階段

 「保留」…。

 これには正直、落ち込んだ。その後の6月の稽古回数はわずか2回。この3か月というもの、主観的にはけっこうまじめに稽古して準備していただけに、ショックは非常に大きかった。

 これは松原先輩のお言葉であるが、

「貴重な休日に金を払って、痛い思いをするんですからねえ」 😀

である。しかも落ちたとあっては、目も当てられないではないか。

 思い返してみると、この十数年というもの大きな挫折感を味わったことがなかった。大学受験こそ2度ほど失敗しているが、その後の修士課程・博士課程の入試はきちんと成功しているし、大使館勤務のための筆記・面接やら文部科学省の選考にもかなりの高倍率だったが合格して、「現在に至る」である。

 本務では軽微な失敗をして多少落ち込むことはあっても、それも給料のうちだ。そういう時は、「もっと大使館で仕事したかったなあ」などと思うことはあったが…。

 その一方で、台北・北京での海外生活から東京に居を構えたこともあって、研究上いろいろ先輩方から声をかけてもらうようになった。

 学会発表やら、研究書や事典の執筆やら、研究プロジェクトへの参加やら、非常勤講師やらと、多くの先輩に引き立てられて、まずは順風満帆に研究と教育に関する業績を積み重ねることができた。

 空道でも先輩方のご指導のおかげと、仲間の励ましもあって8級、7級、6級、5級と1年弱で遅滞なく着実にキャリアアップしてきた。

 それが、久々の挫折である。いつの間にか精神的に打たれ弱くなっていたのだろう。

 東先生の「横を向くな」について、松原先輩に解説していただいたところ、「門間さんの場合、それほどダメージは受けていないと思いますが、いやいやをするような感じに見えますね。」とのことだった。

 確かに、このときはまったくダメージはなかったし、もっとも痛くない昇級審査であった。

 ただ、正直なところ、私はこの頃には基本ルールはもう勘弁してほしいという心境だったのだ。

 5級を受けたときに、バチバチやりあってから「基本ルールはこれくらいにしておこう」という気持ちになっていたのである。そして、「あと1回やれば、顔面ルールの審査になるし」と自分に言い聞かせるように稽古していた。

 それが保留、である。自分が価値を見出していなかった基本ルールから駄目出しを食らったのであるから、それはもうショックは甚大である。

 それでも時間が経つにつれて、なんとかショックから立ち直り、稽古を再開できた。ここで「もう辞めよう」という気持ちにはならなかったのは、幸いだった。

 5級に進級したときに再入門時の目標は達成したが、いつしか目標はより高いものに変わっていたし、「このままでは終われない」、という一種の執念のようなものも生まれていた。

 ただ、少なくとも12月まで黄帯を締めるのは長いな、と思ったのも事実だ。

 密かに私は黄帯着用期間を半年と定めていたのだ。それが1年に延長された。2007年はビジネスマンの試合にも出ないし、夏合宿にも参加しないことを決めていたので、12月まで昇級審査の機会はない。

 家族には「黄色だって、なかなかいい色だよ」とか「早く緑帯とって黄帯を頂戴ね」などと励ましの言葉をもらった。ありがたいものである。

 それから2、3か月が経った頃のことである。1部の稽古に出るために道場に行くと、東先生が1階で一人黙々と自主トレをされていた。

 一度は「押忍!」とだけご挨拶して靴箱のところに行ったのだが、ちょうどよい機会だと思い直して、先生に直接保留となった理由を伺うためにきびすを返した。

 先生はトレーニングを中断して、身振りを加えながら「体が横を向いていると、相手の突き蹴りが当たった場合、ダメージが大きくなる。そのままの癖をもったまま顔面ルールに上がると危険と判断した」と詳しく説明してくださった。

 こうして直接理由を聞けば、納得もできるし、やる気も沸いてくる。その後の稽古ではその辺も注意しながらやるようにした。

 秋も深まった頃、東先生から呼び出しがあり、新宿の高橋支部長らを交えての打ち合わせに参加したことがある。

 そのとき、東先生が「門間は6月の審査で落とされてなあ」と屈託のない笑顔で高橋先輩らに私を紹介してくれた。

 私は心の中で「落としたのは、先生ぢゃないですかっ!」と突っ込みを入れた :hammer:

 とはいえ、私としても別に先生を怨んではいるわけではない。笑って「次回はがんばります!」となどと答えながら、「いつの間にか、東先生やビジネスマンクラスの仲間との距離も縮まってきたなあ。ますます辞められなくなってきたな」と考えていた。

 東先生や松原先輩、それにたくさんの先輩や仲間との交流が、自分に力を与えてくれている、としみじみ感じられた23時だった。