第9話:四半世紀の時を越えて

門間理良の黒帯への階段

 Mの言葉をきっかけにして、「やはり身体を鍛えるなら大道塾か」という思いを抱くには抱いた。だが、即座に「押忍! 入門します。よろしくお願いします!」とまでは踏み切れなかった。なにしろ、25年前の「辛い、苦しい、腹痛い」の体験があるからだ。

 これが「シゴキに遭って辞めました」ということであったならば、大道塾が選択肢に入ることもなかったろうが、そういう覚えは全くない。

 「身体を鍛えるならば、大道塾でなくてもフルコン系とか柔道とか、いろいろあるでしょ」という説得も私には通じない。

 なぜなら、私はそもそも武道や格闘技に対する興味がほとんどないのだ! 

 では、なぜ大道塾にこだわったのか。
 
 25年を経て当時を思い返していると、「自分はあの時、苦しさから逃げてしまったのではないのか?」という、後ろめたいような、ほろ苦いようななんとも言えない気持ちが生れてきていて、それをどうしても拭い去れなくなっていたからだ。この心理は大道塾に入りなおすことでしか、解決できない。

 辞めた当時は、むしろせいせいした、という感じでいたし、その後の学究生活や海外での公務は忙しくも充実しており、大道塾そのものも物理的に近くになかったので、思い出すことはあったが、まあその程度だった。それが…。この心理的変化は決定的に大きかった。

 大道塾総本部がいまや東池袋にあるのは知っていた。私は家族で地下鉄を利用して、ときどき池袋サンシャインシティに遊びに行く。すると、

「極めれば空道」

の看板が嫌でも目に入ってくるのだ。特に私は何も言わないし、妻も黙っているが(彼女は私が高校時代に大道塾に入門していたことを知っている)、前を通るたびに、いつも胸がざわざわとしていた。

 かなり迷ったあげく、まずはお決まりの「見学」をしようということになった。ただ、私は昔の大道塾を知っている。「見学」というよりは、むしろ「偵察」に行くという心境であった。これで、やはりやっていくのが難しそうだったら、自分の気持ちを無理にでも納得させよう、と心に決めた。

 どのクラスを見学するかもポイントだ。大道塾のホームページを開いてみると、「ビジネスマンクラス」なるものが存在しているではないか! 
「これはいい!」 私は心の中で頷いていた。少しだけ心の壁(エヴァンゲリオンか!)が開いたような気がしたのだ。一般部の怖さが身にしみていたので、そういうカテゴリーでならやれるかも、と思ったのだ。

 意を決して総本部に電話を入れ見学希望であることを告げた。これだけで、もう心臓がバクバクだ。自分はまたとんでもないところに帰ろうとしているのではないか。止めるなら今のうちだぞ~、という心の声も聞こえている。それをむりやり押さえつけて、総本部へと向かった。
 
 2006年4月1日、土曜日の午後のことだった。 

 道場について玄関に入った。見学希望であることを告げると、3階の道場に通された。その瞬間、私の脳はガツンと衝撃を受けた。「ここはやばい!」と本能が告げていた。

 あの匂いだ! 25年前の仙台で通った道場と全く同じあの匂い!! この四半世紀、同じ匂いを嗅いだことは一切なかった。私自身はすっかり忘れていたのだが、それを頭はしっかりと記憶していたのである。

 とはいえ、ここまで来た以上、帰るわけにもいかない。用意された丸いすに腰掛けて、見学となった。最初にもった感想は、「年齢がそれなりに上の人が多そうだ」、「ビジネスマンクラスだけど、女性もいるな」、「人数が多くて活気があるぞ」、「黒帯が多いんだ」などであった。このあたりは、まさに現在のビジネスマンクラスを見たまんまの感想で、文章にするのが申し訳ないくらいだ。

 稽古が進められていくと、25年前と比較して、感心する点がいくつかあった。第一に、師範代(このときは、まだ松原先輩の名前を知らなかった)の教え方が、ものすごく丁寧だということに気がついた。これは25年前にはなかったことである。第二に、道場の中に時々笑いが起こることである。基本的にぴりぴりしていた雰囲気があった昔には考えられないことだった。

 かなり密度が濃い稽古が続いていくので、後で見学していてもなかなか面白かった。いつのまにか2時間が過ぎていた。そろそろ終わりかななどと思っていると、道場生がおもむろにスーパーセーフをつけているではないか。「これからスパーリングか、これは見ておかねば」と浮かしかけた腰を再度落とした。

 この場で私は懺悔しなければならない。正直に告白すると、スパーリング始まる直前まで、私は、「スパーと言っても、おっさん達のスパーだからなあ」などと高をくくっていたのだ。ところが始まったスパーときたら

「パコパコパコッ!」「バカッ!」「バコン、バコン!」

の音が壮大に道場に響き渡っているではないか。

「話が違う~!」

 いや、誰もなにも話していないのだが、「おっさん達のスパーは温(ぬる)いだろう」などと勝手に思い込んでいたのである。このスパーには正直ビビった。

 こうして、やや呆然とするなかで稽古が終わった。すると何人かの方が声をかけてくれた。

「何か武道の経験はありますか?」、「いいえ、ありません」(と私)、
「大丈夫ですよ。丁寧に教えますから」(伊東先輩、すいません。嘘つきました)

「お仕事は?」、「公務員です」(と私)、
「私もそうです。公務員の方はビジネスマンクラスにたくさんいますよ」(松田先輩、ありがとうございます)

 気がつくと稽古は3時間近くに及んでいた。一礼して道場を出たが、私は決めかねていた。

 ここで、止めるなら止めてもよい。心にわずかな痛みを抱えていてもその程度で済む。だが、もし再開するとなったら、今度は絶対に途中で辞められない! 最初からやらない場合と、再開してからまた辞めた場合の心理的ダメージは、後者の方が計り知れないほど大きくなることを知っていたからだ。

 その日から私は苦悩しながらも、大道塾に関する情報の収集を開始した。

 まずは、押入れの中に長く所蔵していた文献を久しぶりに手にとった。表紙には『はみだし空手』、『東孝の格闘空手』とあった。

 今、奥付を見て確認できることがあった。『はみだし空手』は1982年7月の発行である。この当時、東先生が本を出版したということで、道場で購入した記憶がある。ということは、少なくとも私は、仙台の総本部に1982年7月までは在籍していたということだ。
 
 新たな文献も入手した。『着衣総合格闘技 空道入門』と『はみだし空手から空道へ』の2冊である。これで現在の状況がけっこうわかった。目黒区立図書館から夢枕獏の『空手道ビジネスマンクラス練馬支部』も借り出して読んだ。
 
インターネットで総本部だけではなく、各支部のホームページを調べたり、果ては2ちゃんねるで検索したりもした。

 これは笑えた。ネットの世界では大道塾や空道を知らない連中が、憶測に基づいて延々とつたない議論(馬鹿にしあい)を展開していることを確認できたのは有意義だった。

 まあ、私は研究者なので読書は嫌いな方ではないし、職名も「調査官」という位だから、世間一般の人よりは調べものを得意としているのだ。

 このような感じでほぼ一ヶ月近く、再入門についてかなり根を詰めて考えた。そのおかげで25年前に体験したあの腹痛に何度も見舞われて、妻には苦笑された。

 「そんなになるなら、やらなきゃいいじゃない」と。

 だが、25年前の自分に勝ちたいという気持ちは日増しに強くなっていった。

「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ!!」(エヴァンゲリオンか!)

 一ヶ月近く懊悩を繰り返したあげくの4月27日、私は大道塾再入門のため、総本部を訪れたのである。