第10話:東先生との「初飲み」

門間理良の黒帯への階段

 迷いに迷った挙句の2006年4月27日木曜日、この日私は意を決した私はわざわざ休暇を取って、午前11時前に総本部道場を訪れた。

 入門手続きを開始したら、すぐに1部の稽古を始めることを考えていたので、手続きや稽古に必要なものは持参していった。

 最初に3部を選ばなかったのは、1部の方が人数も少ないだろうから、マンツーマンに近い感じで教えてもらえるだろうという期待がひとつ、大勢の人の前で始めることになんとなく気恥ずかしいものを感じていたことがひとつである。

 道場3階まで上がり、呼び鈴を押すと若い寮生(別府さん)が降りてきた。入門希望であることを話し、さっそく手続きした。

 「入門希望書」には氏名・住所・生年月日・勤務先などを記入する箇所のほかに、武道歴を記す欄もあった。ちょっと迷ったが、そこは「経験なし」とした。

 道衣は在庫がないとのことだったので、持参したトレーニングウェアで始めることとなった。

 こうして私は人知れず大道塾への「潜入」に成功した…はずだった。

 記念すべき再開第一回の稽古をつけてくださったのは清水先輩であった。正座して礼をすると準備運動だ。

 「あ、25年前と一緒だ!」 これは体が覚えていた。もしかすると、細かい部分は変更があったかも知れないが、基本は変わっていない。うれしかった。
 
 とんとん拍子に準備運動が進んだのだが、ひょんなことから「潜入」はあっさりばれることとなった。

 回し受けである。清水先輩が手本を見せてくださり、私がそれに続いた。右足の位置や、手の構えなど2,3の点は忘れていたのだが、大まかな動きはやはり体が覚えていたので、スムーズにできてしまったのである。
 
 それを見た清水先輩に
「あれ? 門間さん、経験あるんじゃないですか? 普通こんなにあっさりできないっすよ」
とずばり指摘されてしまったのだ。そこまで見抜かれたのに、「いえ、初めてです」などと嘘をついていても仕方ない。チャンピオンである清水先輩にも失礼だ。

 「はい、実は25年ぶりでして…」
ということを簡単に話した。すると清水先輩は
「なんだ、先輩じゃないっすか!」
と、人の良い笑顔を向けられた。

 こちらとしても、「大道塾で稽古していました」と胸を張って言えるほどやっていなかったので、その経歴を話すのが恥ずかしかっただけである。嘘をつくことは本意ではなかった。大したレベルではないのだが、それでも隠し事がなくなったことは、私の気持ちを楽にしてくれた。

 つぎは基本稽古だ。これはさすがに息が上がったが、それなりにすんなりできた。清水先輩も
「経験があるから、教えるも楽ですよ。本当に初めての人だったら、こんなに早くは進めません」とおっしゃってくれた。

 このような感じで、記憶を取り戻していく作業にも似た2時間が過ぎていった。

 〆(しめ)の道場訓も、昔とほとんど変わっていない。「空手道の修行を通じ」が「空道の修行を通じ」になり、「人と結びて有情を体し」の一行が増えた程度だ。

 翌日、定時退庁するとすぐ有楽町線に乗って東池袋に向かった。この日は3部の東先生による直接指導のクラスである。

 19時になった。若干緊張していると、東先生が降りてこられて稽古開始だ。冒頭、「お前が門間か。昔仙台でやってたんだってな。顔をなんとなく覚えてるぞ」とおっしゃってくれた。

 東先生には累計すれば何万人もの弟子がいる。その中で25年前の不真面目で軟弱な一高校生など覚えていらっしゃるわけがない。これが先生のリップサービスであることは百も承知だが、その気遣いがうれしかった。

 通常、入門2回目の人間は基本稽古には加わらないものだが、「門間、覚えてるだろ。 一緒にやれ!」の一言で加わらせていただいた。これは(主観的には)何とかこなせたのだが、さらに加わらせていただいた技研(といってもボディを打たせてもらう程度)では、目の前をちらちらと銀色の粉のようなものが舞う状態、平たく言えば酸欠状態だった。

 それにしても、東先生に25年ぶりに稽古をつけていただいたことはうれしかった。「相変わらずの胸板の厚さだった」と言ったら、「俺の全盛期はこんなものじゃない」と怒られてしまうだろうが…。

 先生による1時間の技研指導の後、その後は清水先輩の指導で1時間やった。2時間はあっという間に過ぎていった。

 稽古が終わって少したった頃、3階の電話が鳴った。電話をとった別府さんが少し話をしていたが、私を見て「門間さん、東先生です」と受話器を渡してくれた。時間があるなら、2階のラウンジで飲まないか、との仰せだった。もちろんこちらに断る理由など何もない。喜んで参加させていただいた。ついでと言っては何だが、清水先輩の名言も紹介しておこう。

 「東先生への返事は、イエスか押忍しかないんです!」

 その晩は東先生や清水先輩、藤松先輩、別府さんらとビールを飲みながら、25年前の思い出話やらなんやらで、楽しく過ごさせていただいた。いくら親しくさせてもらっても、高校生では飲み会には参加できない。これは、歳をとったからこその楽しみということになる。

 この酒席で、東先生に「当時の同期は誰なんだ?」と聞かれたときには、答えに窮してしまった。覚えていないのである(私より先に辞めた友人の名前を挙げても仕方ない)。

 このときの東先生の言葉で、当時の自分は大道塾で仲間を作っていなかったんだな、と初めて気づいた。もし大道塾の中で一緒にがんばっていくような人がいたら、もっと続けられていたのかもしれない。ただ、高校生という年代は誰もがそうだとは思うが、やや自意識過剰で、大道塾のような特殊環境では仲間を見つけにくかったのかも知れない。

 23時近くなったあたりで、一度お開きになった。2次会(たしか焼肉だかカラオケだかといわれた)にも誘われたが、さすがに遠慮した。先生も「そうだな。もっと偉くなってから参加しろよ(笑)」と仰るとともに、「前に8級だったなら、次の審査の出来によっては6級ということもあるんだからな。がんばれよ」と励ましてくれた。こんなことは現実的には無理だなとは思ったが、この言葉によって、自分なりの目標を作ることができた。これについては、次回にでも紹介しよう。

 興奮の2日間はこうして終わったのである。