第11話:目標は5級?!

門間理良の黒帯への階段

 2006年のゴールデンウイークが明けると、私はすぐに月曜2部の稽古に参加した。この日も清水先輩の指導だ。五十歳の白帯の方(Oさん。昨年末の昇級審査以来、お見かけしないので心配している)もいらっしゃる。

 冒頭、清水先輩から道衣が入荷したと声をかけられたのでさっそく購入し、着替えた。新品なので上衣は少しごわごわしたが、それもまた心地よい感じだ。胸の刺繍は「空道」となっていた。6号の道衣は若干大きめだったが、洗うと少し縮むので大丈夫だろうとのことだった。それに、今では青道衣もあるとのこと。柔道みたいだなと思ったが、空道のイメージは「空(そら)」にも通じるし、白や青というのは悪くない。

 「たとえ試合に出なくても、シャレで青を着るという手もありますよ」

とは清水先輩の弁。次に買うときは、青にしてみよう。

 東先生とお酒を飲んだ折(第十話参照)に、空道着には縫製上、幾つかの改良点があることを伺っていた。簡単に言えば、破れにくい裁断と縫製ということだ。突き蹴りだけの空手とは異なる特性が道衣にも要求されているということだな、と1人得心した。
 
 その後、何回か稽古に参加するにつれて、大道塾の道衣にもいくつかのバージョンがあることがわかった。胸の刺繍が「大道塾」となっているもの。また、その刺繍の糸の色が濃紺のものもあれば黒のものもある。細かいところでは、上衣のタグも異なっているものがあるとのことだった(これは清水先輩に教えてもらった)。

 それはそうと、私は大道塾を辞めてからも、実は「空手道」の刺繍入り道衣を、かなり長い間捨てずに持っていたのだ。さすがに上衣は袖を通さなかったが、暑いときに下衣を履くと、だぶだぶしていて、またさらっとしていて気持ちよかったから、時々穿いていた。だが、修士課程(1991~93年)の頃、「どうせ、もう着ないからいいや」と捨ててしまった。今思えば惜しいことをしたが、「後悔先に立たず」である(とくにこれは夏合宿のときに痛感した)。

 再入門してから「空手道」の道衣を着ている人はさすがに見当たらなかったのだが、昨年の関東地区夏合宿に参加した折、一人だけ着ている人を発見して懐かしかった。それは高松先輩だった。高松先輩は、その後総本部にも教えに来てくださっているが、時折その道衣を着ていらっしゃる。

 とりあえず、道衣は揃った。その後、木下先輩に教えてもらって建武堂に行き、2~3週間の間に一通り手足用のサポーターも買った。私にとって、もっとも重要なのはファールカップであることは言うまでもない(第四話参照)。これは、速攻で買った。

 稽古はまずまずのペースだった。4月は27日入門なので2回だったが、5月は8回ほど稽古に参加できた。

 ビジネスマンクラスには5月13日にデビューを果たした。何度か稽古に参加していると、仲間もでてくる。特にビジネスマンクラスの先輩は何くれとなく声をかけてくれるので、打ち解けやすかった。

 けっこう早い時期から「さくら」での懇親会にも参加するようになった。これは皆がそうであるように、私にとっても楽しみの一つになった。仲間ができると、稽古を続けていく上で、大いに励まされる。

 大道塾総本部が池袋にあるということも、私にとっては嬉しいことだった。池袋は上京して初めて住んだ街で、母校もあるし大好きな街だ(アパートの最寄り駅は椎名町なのだが、池袋駅西口から徒歩20分程度なので、まあそう書いても罰はあたるまい)。

 北京から帰国して以来、田園都市線沿いに住んでいても、池袋に来るとどこかホッとする。単純なことだが、こういうことは案外重要な気がするのだ。

 今では渋谷が自宅から最も近いターミナル駅だが、田園都市線のホームは渋谷駅でも一番地下深いところにあって地上に出るのは億劫だし、出たら出たで、渋谷の街はやたら坂が多くて歩くのはさらに億劫だ。

 下り坂だけならそれも良い。だが、同じ道を往復した場合、たとえ往路が下りであっても、復路ではそれが上りに変化することを、私は長年の経験から気がついていた。

 探検部の山合宿でも不条理を学んだ。
「せっかく登ったのに、なぜ下らねばならないんだあ! あそこから、また登りなのに!」
と心の中でよく叫んだものである。

 「ファイアー通り」とか「スペイン坂」とか、なによそれ? みたいな名前もいやだ。

 それに、渋谷は怖そうな兄ちゃんが多い。私はオヤジ狩りなんかに遭いたくない。「君子危うきに近寄らず」である。小原さんぐらいになると、「そんな奴ら、返り討ちにしてやりますよ!」となるのだが、私はそのレベルではない。

 渋谷が大好きな人もいるし、「池袋は下品だ」という声も聞こえてきそうな気はするが、このへんはどうか勘弁してもらいたい。

 さて、話題を変えよう。「自分なりの目標を立てた」という話を前回の終わりにさらりと書いた。

 驚かないでいただきたいのだが、実は私、既に目標を達成してしまっているのだ。

 私の当面の大きな目標は、「5級取得」だったのである。

「なんだよ、それ~!?」、
「しょぼすぎる~!」、
「大道塾的に目標とするなら緑帯でしょ!」

という先輩方の声が聞こえてきそうだが、これは事実だ。

 私が大道塾に再入門した理由が、自分へのリベンジであることは、読者の皆さんは既にご承知のことと思う。高校生のとき、稽古の辛さから逃げたことが軽いトラウマになっていた。これを解消することが、再入門の大きな動機である。

 だが、再入門しただけではダメである。なにか自分にとって明確な目標をつくり、それをクリアしなくてはトラウマはいつまで経っても解消しない。

 そこで、私は密かに「昔の自分よりも強くなる」ことを目標に設定したのだ。

 高校生のときに8級で挫折したことを東先生に話した。すると先生は「前に8級ということは、今度の審査の出来次第で6級ということもあり得るからな」とおっしゃった。

 そこで私はこう考えた。

 昔8級だったということは、そのとき、もう一度昇級審査を受けていたら6級になっていた可能性もある(あくまでも可能性の話で、その実力はなかった)。

 しかし、さすがにさらに飛び級して5級をとることは絶対にあり得ない。じゃあ、昔の自分を越えるには5級を取ればいいのだ、と。

 単純といえば単純なのだが、このように目標設定した。この話は、まだ白帯だった頃か青帯を取ったばかりの頃、新宿支部の佐野先輩に、さくらからの帰りの地下鉄で話したことがあるだけだ。

 心の中では「5級が目標っていうのは変な奴だ」と思われたかも知れないが、そこは世界戦士・佐野先輩である。笑顔で、「低い目標から始めるということはいいですね」ということをおっしゃってくれた。

 では、現在の自分は16歳の頃の自分に勝てるのか?

「奴には勝てる」

というのが私自身で出した結論である。

 柔軟性と反応速度、負傷からの回復力という点では、もちろん若いときの方が優っている。だが、パンチやキックの威力は今の方があると確信しているし、なによりも試合となったときの気力が違う。

 今、私よりたまたま級が下でも強い方は大勢いらっしゃる。だが今の私なら絶対に「あの青帯」には勝てる、と言い切れる。ということで、

 祝 目標達成!
 私のトラウマも消えました!! 皆さん、ありがとうございます!!!

 あれっ? 次の目標はどーするんだよ!

 いまは「空道無窮」とだけ言っておこう 😡